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摂理に来て人との接し方が変わりました

摂理に来て自分は何が変わったのだろうと考えてみたのですが、顕著に変わったと思えるのはやっぱり人との接し方です。

今までは自分が話したいことをたくさん話しているだけだったし、その内容も愚痴がほとんどだったなーと恥ずかしながら思い出します(*ノωノ)

しかし、御言葉を聞くことで自分が話す言葉の重要さだったり、神様の愛をたくさん学んだので、人と接するときは必ず相手の意思を先に聞こうとする姿勢が身に付きました。

今では自然とそれができるようになりました。

あとは、神様の愛を思う存分に受けたことを実感したので、人に対する愛も不思議と抱くようになりました。

だから、聞く側に徹しても疲れないし、むしろその人の話をもっと聞きたいと思うようになりました。

おかげさまで今では学校でもいろんな人と話すのが楽しくなりました。

話の内容があまり好ましくなくても相手のことを思って聞いてあげると、何も退屈せずに楽しく聞いていられます。

その人にも神様の愛を与えてあげたいと主に祈りながら聞いてあげるので、主との経緯になっております。

この変化は自分でも奇跡だと思っています。

御言葉で自分を変えてくださった三位と主に本当に心から感謝しております。


見えないものは信じない?

はじめまして^ ^ しょうと言います。
20代男子、摂理に導かれて4年くらいになりますが、
感じたこと、体験したことを書こうと思っておりますφ(・v・)

大学のときは化学を専攻していました。

「見えないものは信じない」
理系の友達がいればよく聞く言葉でしょうか?
だから神様も信じていない。
自分も「宗教」と「科学」は相反するものだと考えていました。

でも、今は……

めっちゃ神様信じていますd(^皿^)

もちろん、この目で見たわけではありません(笑)


「見る」ということについて考えてみると、
私達が目で見ている物質は、原子でできています。
(水素Hとか炭素Cとか高校で習いましたよね。)
もっと細かく裂くと、陽子と中性子と電子が存在し、
もっともっと裂くと、ヒッグス粒子と呼ばれる粒子が存在するそうです。
それらは見えません。目で見える次元ではないです。

でも、存在すると明言されました。データが取れたから。
またそれらは偶然見つけたものではなく、見つけようとして見つけました。

つまり、
「存在すると信じて、何度も何度も実験を重ねた結果、確認しました。
 目には見えないけれども、実験によってその存在を確信したのです。」


神様も同じです。
「先生(鄭明析牧師)は、神様を信じて、何度も何度も神様を呼んで、愛して、
 その中で神様を見つけました。自ら御言葉を実践して神様を確信しました。」

その御言葉を聞いて、先生の生き方を見て、自分も神様を信じるようになりました。
御言葉を聞いて行なう周りの人からも神様を感じます。

科学と信仰には共通するところがあるんだと思いました。
自分も御言葉の実践をして、神様の存在を表していきたいものです(^ω^)
タグ:宗教 科学

若い日の一日は年をとってからの10年

先週土曜日に私のひいばあちゃんが亡くなって、本日葬式に参加してきました。

ひいばあちゃんは非常に長生きでして、享年102歳という年齢で生涯を終えました。

これだけ長く生きてくれて、ひ孫の私も誇りに思っています。

小さい時からひいばあちゃんと接してきたのですが、私が小学生の時、ひいばあちゃんは90歳くらいでその時から介護施設にお世話になり始め入院生活が始まりました。

車いす生活が始まって自由に動くことができないでいたので、帰省したときには施設に行って、よく車いすを押して施設内を一緒に散歩していました。

その生活を10年以上続けて、つい先日長い長い人生に幕を閉じました。

私からもご冥福を祈ります。

葬式の最中、ひいばあちゃんとの思い出とどんな生涯だったのか考えていたら、鄭明析総裁の言葉がふと頭に浮かんできました。

「若い時の一年は、年をとってからの10年にも勝る」

私は年をとってからのひいばあちゃんしか知らないので、まざまざとこの言葉の意味を悟るようになりました。

ひいばあちゃんの年を取ってからの生活は約10年間介護生活でした。

その10年間でご自身が成されてきたことは、あまりなかったのではないかと思えます。

大正時代に生まれ、第一次世界大戦も第二次世界大戦も若い頃に経験してきた時代には苦労も多かったとは思いますが、その時の一日のほうがもっとたくさん成し遂げてきたことは多かったのではないでしょうか。

子供(私のおじいちゃんたちに当たる)も男4人、女2人を生み子宝にも恵まれ、今では親戚が集まると本当に楽しいひと時を過ごすことができています。

こういうことを考えると、ひいばあちゃんは本当にたくさんのことを若いうちにしてきてくれました。そしてその恩恵を私たち親戚一同が被っています。感謝しています。

この生涯を考えた時にやっぱり、鄭明析総裁のその言葉がどんどん胸に染みてきました。

「若い時の一年は、年を取ってからの10年より勝る」

年をとってからでは、成すべきことがあったとしても考えも体も老いて思うように成すことができません。

だから、若いこの時、時間を無駄にせず、今自分にできる最大限のことをしていってこそ、人生をまっとうできるのだなと思ったひいばあちゃんの葬式でした。

あの世で主と出会えますように。


先進国、日本の問題

本日、国際トークショーのイベントに行ってきました!!!!!!

私自身は全然、国際系の人間ではないんですが、新たな観点から物事を見ようと思って、勇気を振り絞り参加しました。(振り絞るほど悩んではいないのですがw)

参加してみてほんっっとに良かったです!

内容を少しだけ紹介すると、

日本は先進国として世界から認められている国でもありますが、プレゼンテーターの方が言うには、本当の先進国は命を大切にする国が先進国だという。

そう考えると、日本はまだまだ先進国からほど遠いですよね。

なぜかというと、日本の自殺件数が世界でもトップクラスであるのに、命を大切にしているかといういえば疑問に思うようになりました。

もちろん、命を大切に思っている人もいると思いますが。全体として見たら、これが現状なんです。

日本に必要なのは、これですね。

なんで、自殺が多いのかと言えば、自分自身の価値が分かっていないからではないでしょうか?

自分という命の価値を分かるためには、自分が本当に愛してくれる存在を見つけ本当に心から実感する必要性があるのではないでしょうか。

私は自分の価値を御言葉によって見出すことができました。

もし、御言葉と出会わずそのまま生きていたら、私は自殺していたかもしれないと思うと、本当にこの摂理にであえて感謝があふれますね。

皆さんは、自分を本気で愛してくれる存在が近くにいますか?

神様を知る

ほとんどの学問は聖書から派生していったものだとよく聞きます。

数学、物理、化学、美術、音楽、、、、、、

文明的な絵画が生まれたのも、文字ばかりの聖書を視覚的に表現することでイメージしやすくするために発展していったということもよく耳にします。

地球は神様が創造なさったものだから、自然界を学ぶサイエンスも神様を知るためにとても効果的です。

それは、画家の絵を見た時に画家の性格や人格を窺えるように、自然界の万物を見ると、神様の思想、気質、性格が感じられるのだと学びました。

そして、神様をよく知るために最も効果抜群なのが、聖書です。

作品だけを見ても作者の思想をドンピシャリと当てることは難しいですが、作品に作者の説明書きがあれば、正確に作者の考えが分かるようになりますよね。

そのように、聖書は神様の思想、考えが直接学ぶことができるのです。


神様について学ぶなら、絶対に聖書は必要です。

聖書で神様のことが分かると、学問も自然と理解が深まっていきます。

いや~、自分ももっと聖書を読まないと・・・・

神様の全知全能な考えを受けれるように、聖書読みも学問も頑張っていきまーす。


基本が完成してこそ個性が開発される

御言葉を聞いている中で、個性はどのように開発されていくのか、お話を聞きました。

人間としての基礎を学んで、基本を完成させれば個性が生まれてくるのだと言う。

ふむふむ。なるほどなるほど。

どんな人でも自分の個性を知りたいと思っている人はたくさんいると思います。

たとえ話で話してくださいました。

植物の種が何種類かありますが、この時点では違いには大差がないですよね。

種を植えて育てて木から実が実った時に初めて、その種の個性が開花されてきますね。

ただ、種が育つためには太陽と水と土が絶対に必要です。

どんな種にも必要です。

人間も育ち、実が実るためには太陽のような神様の愛と水のような御言葉を土という心に受けなければ、絶対に人間としての成長ができません。

そうしてこそ、初めて、ぶどう、リンゴ、バナナといった個性体が生まれるように人間もそうなんです。

未熟なうちに自分の個性を奮ったところで大したことはなのです。

基礎をしっかり立ててこそ、その人の個性は大きな味をだすんだということです。

うんうん。絶妙なたとえですな。

私も個性を開発中なので、神様の愛と御言葉をもっと学んで、個性の味を出してきたいです。




真理の必要性

おはようございます!

昨日もすばらしい説教の御言葉を頂きました!!

「人は必要性を分かるから行い、必要性を分からないから行わないのだ」

説教の核心的な一部分です。

自分にとって必要と感じなければ行動に移さないですよね。

しかし、本当に必要なことでも自分自身が必要性を感じなくても行わないという事態が多いのではないかと思います。

人として、絶対的に必要なことは何かを考えてみた時、一つ思い浮かんだのが”真理”だったので、必要性を感じて無い人も必要性を感じるように、真理の必要性についてまとめてみました!!^0^

まず、真理とは何かから説明しますね。

辞書サイトにはこのように載っていました。

真理ーーーーーーいつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。
(コトバンク参照)


つまり、真理とはどんな時代の人、どこの国の場所にいっても、変わることのない事実だということですね。

地球の重力は9.8m/S^2、地球には引力がある、生き物は腐る、質量は保存される、などなどがいつの時代、どんな場所でも共通で自然界の法則だと真理のイメージがつきやすいことと思います。

それと同じく、人間の本質的なところでも”真理”はあります。

人間の本質的な所の”真理”の必要性についてまとめてみました。

1.真理を学ぶと自由になる
(ヨハネによる福音書8章32節)
2.真理は道なので、人生の目的地が分かる
(ヨハネによる福音書14章6節)
なぜ生きるのか、何のために生きるのかが分かるようになります。
3.義の生き方が分かる
(テモテへの第二の手紙3章16節)


全部必要だ~!

まだまだあるかもしれませんが、一つ一つが本当に深い。

真理を教えてくれた摂理に感謝です。

悟りが無ければおもしろくない!

おはようございます!

今日は主日礼拝ですが、本文を呼んでいた時に思ったことを書きたいと思います。

今日の本文は詩篇49篇20節
”人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅び失せる獣に等しい”(口語訳)

また、新改訳ではこのように書いています。
”人は栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい。”


この聖句を読んで、たとえ、摂理にいたとしても毎瞬間悟りがなければ動物のように生きてしまうのだなと感じるようになりました。

悟りは悟ろうとしてこそ悟りが来ると鄭明析総裁の箴言があるのですが、まさに、意識的に悟りを見つけようとしなければ神様を感じることができないのです。

悟りがあると、本当に生活が楽しくなるし、苦しくないです。

摂理で甲斐ある生活を教えてくださったので本当に感謝です。


ここで最近の悟りを紹介します。

ご飯を食べているときです。

自分と摂理の兄弟と3人で外食しに行ったのですが、そこのお店は多種多様なジャンルの食べ物を選ぶことができるレストランです。

イメージとしては。デパートのフードコーナーが少しリッチになった感じ!?

3人とも全く別のジャンルの料理を注文して食べていた時にふと思いました。

「こんなにいろんな種類の食べ物を食べられるのは人間くらいだよな~。肉、魚、野菜全部食べられるなんて本当に人間の体ってよくできてるよな~」と。

さらに

「こんなにたくさんの味を味わえるように自分を創造してくださった神様に感謝です。」と心の中で祈りました。

すると、ここで悟りが来ました。

”いろんな種類の料理を食べれるように人間を創造したように、神様は人間のことを多種多様な角度からいつも愛を与えている”のだなと。

ご飯を食べているときに、天から下ってきた悟りでした。


ご飯を食べるという行動はいつも日常的にやっていることですが、悟ろうとしてこそはじめて悟れるんです。

悟りって面白いな!

人生の生きる味

こんにちは!摂理の大学院生です!

今年伝えていただいた御言葉の中でとても印象的に残っているものがあります。

「人生は考える味だ、生きる味だ」

今日はこのことについて、ある出来事を踏まえながら話していきたいと思います。


私は、教会で総務の仕事を任されています。総務とは特にやることが決まっていなく、教会全般に関することすべてをする仕事です。

決められていることがないから、かなりのセンスを要するお仕事でもあるわけです。

だから、祈って霊的に行わないと、本当に難しい仕事なのです。

そんな総務のお仕事を続けていたのですが、ある時牧師から総務の仕事を一旦お休みしてはどうかと言われました。

理由は諸々ありますが、一旦やめることを承諾しました。

自分の中で何がいけなかったのだろうと考えていたのですがこれに尽きるなと思います。

”感謝”

総務の仕事をもらったときには嬉しくて感謝しながらやっていたのですが、続けているうちに大変なこともあって、いつの間にか私の中で感謝しながら仕事をすることが減っていたことに気づきました。

与えられても時間がたつと廃れやすいものが”感謝”なんですかね。
だからこそ、与えられたときの初心を忘れずにいつも感謝する心を持ち続けられることってとっても大事だと思う今日このごろ。

人生の味は考える味だと冒頭で述べましたが、何を考えるべきか、それは、、、

神様が与えてくださったものを考えること

だということに気づきました。

これを考えていると、おのずと感謝が湧き出てきます!

御言葉を聞いているからと言って、感謝を忘れると、本当に恐ろしいほどにいろんなものが奪われて行きます。
逆に感謝を捧げると、自分が思った以上にたくさんのものを享受するようになります。
そのようなことをたくさん経験してきました。

感謝がなければ、人生にどんな味が残りますか?
感謝の味をしめて、生きていきたいものですな!!

人間による人間のための人間らしい生き方

どもども!^0^

昨晩、研究室の飲み会に行ってきました。
もちろん、僕は一滴も飲まなかったのですが、皆飲み始めると普段の会話では出てこないような内容がたくさん出てきますよね。

思わず耳をふさぎたくなるような内容ですが…..orz

話の内容が異性の話ばかり…

私は祈りました。
「なんでこうも男たちは異性の話ばかりするのでしょうか?人間ならばもっと次元の高い話をすべきじゃないでしょうか?」と。

そしたら、一つバイブルスタディーで学んだことを思い出しました。


人間の違いと動物の違いは何かということです。

みなさんも一度は考えたことのある議題ではないでしょうか?


現時点でも科学的に人間と動物のはっきりとした明確なラインは引けないんだそう。

しかーし!!
私たちは御言葉によって真理を学び、人間について学びました!

人間と動物の違いは、霊があるかないかの違いなのです!!

人間には霊があるし、動物にはない。

霊があると何が違うのかというと、一部分だけ紹介します。

霊の思いがあるのですが、それは「真・善・美・愛」を求める心です。

人間は真理を求め、善良に生きようとし、美しいものに心が惹かれ、真実な愛を探します。

人間以外にこのような心を持つ動物は見たことがありませんよね。

総裁の御言葉で人間らしい生き方とはつまりこういうことだと私は学んだから、はっきりと「人としてこう生きるべきだ」と胸を張って言えます。

人間らしい生き方を求めるなら、ぜひとも真理、善良、美しさ、本物の愛を求める生き方がしたいものですね。
タグ: 人間 生き方

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