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【摂理の便り】ただ神様の御心のとおりに(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

【摂理の便り】ただ神様の御心のとおりに(鄭明析牧師の主日の御言葉より).png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題]ただ神様の御心のとおりに
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] マタイによる福音書7章21節
21)わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。


 
ルカによる福音書22章42節
42)「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
 
 
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

<御心>とは「神様と聖霊様と御子主の心と考え」を<御心>と言い、「神様と聖霊様と御子主が計画なさったこと」を<御心>と言います。  
 
イエス様は死の直前の極限の苦痛の中でも必ず、「父の御心のとおりに」なるようにしてくださいと神様に願い求めました。そうすることで、結局「神様の御心のとおりに」<メシヤ・イエス様の犠牲の条件>によって、全人類に命の道を開いてくださいました。それによって<新約の救いの歴史>が2000年間輝かしく成されてきました。
 
このように「神様と聖霊様と御子の御心」を行なってこそ、その影響が「人生一生の間」続き、「魂と霊」にも神様の御心が成されて、永遠な喜びと愛の世界が成されます。
 
人々は「御心」が分からなくてみんな探し回ります。「どのように生きようか?どのように行なおうか?」と悩んで生きています。

「御心」は「人生の道」です。「全能者神様と聖霊様と御子主が永遠なもののために定めた御心」を行なって生きることだけが<人生最高の成功の道>です。
  
「この時代の最高の大きい御心」は<引き上げ>です。だから、「神様の御心どおりにする人」は、<引き上げ>られます。「ただ神様の御心」どおりにするためには、一つ、御子主が伝える御言葉に集中しなければなりません。二つ、御言葉を御子主の御心どおりに悟るために、祈らなければなりません。
 
「ただ全能者の御心どおりに行なうこと!」これを<哲学>にして生きなければなりません。
 
皆さんみんな「御子の御心」通りに生きるように祈り、「御心」を悟って感じ、「神様と聖霊様と御子主の御心どおりに」生きることを祝福します!
 






~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】時間が問題ではない。どのように行くかが問題だ。(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

【摂理の便り】時間が問題ではない。どのように行くかが問題だ。.png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題]時間が問題ではない。どのように行くかが問題だ。
[御言葉] 鄭明析牧師
[本文] ヨシュア記10章12節
主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。

ハレルヤ!永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

人が重い岩を移すときも、「手足と体」でやったら一生の時間を全部使っても不可能だけれども、「重装備」でやれば短い時間にもできます。これと同じく、時間がたくさんあるかないかが問題ではなく、どのようにするかが問題です。

また、「目的地まで行く上で、時間がたくさん残っているか、少ししか残っていないかは問題ではありません。目的地までどのようにして行くかによって、<時間>の問題は解決されます。『飛行機』で行くか、『車』に乗って、スピードを出して行くならば、遠い距離でも短い時間で行くことができます。

引き上げもそうです。引き上げられる上で時間が残り少なくても、<時間>が問題ではありません。

時間が残り少なくても、『飛行機』で行くように、御子主と一体になって、愛に満ちて聖霊に満ちて行くならば、誰でも少ない時間をもってでも引き上げられます。

しかし、遅れて時間がないのに、自転車で行くとか、歩いていくように、『愛』も『御言葉の実践』も『行ない』もしなければ、それだけ難しくなります。

みんな「間違った行ない」を捨て、「悪い根性」を捨て、「肉に属したこと」を捨て、命を懸けて御子と分体と一体になって、脳に火がつき、飛行機に乗って行くように行なうことを祝福します!





~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】御子愛に燃えて神霊であってこそ 肉と魂と霊が早く変化して早く「引き上げの霊」になる(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

【摂理の便り】御子愛に燃えて神霊であってこそ .png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題]御子愛に燃えて神霊であってこそ 肉と魂と霊が早く変化して早く「引き上げの霊」になる
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] ヨハネによる福音書4章23節 
24)しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

 
コリント人への第一の手紙2章13~14節
13)この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
14)生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
 
 
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
 
この時代的に見るとき、また私たち全体の信仰的に見るとき、今、最優先にすべきことは<引き上げ>です。これは「永遠なこと」であり、「今この時に、必ずしなければならないこと」です。 
 
御子愛に燃えて、神霊であってこそ、肉と魂と霊が早く変化して、<引き上げの霊>になります。誰でも御子主と一体になってこそ、神霊になります。御子主と一体になるためには、「真実な祈り」を最後までしなければなりません。
 
世の中の仕事も、その仕事をする時に専(もっぱ)らそれをしてこそ、一目瞭然に完成し、家を建てる時も、専ら行なわなければ、時間が経っても完成しません。
 
「引き上げの仕事」も同じです。専ら行なわなければ、5年、10年行なっても、引き上げの完成ができません。1年でも、引き上げに専ら没頭しようと思って行なってこそ、肉も魂も霊も一目瞭然に変化します。
 
このように行なうにしても、すべき時に行なってこそ、変化すべき時に変化します。変化しても、遅く変化したら、「時」を逃すようになります。変化すべき時に変化してこそ、全能なる神様の<引き上げの時>に合わせて引き上げられます。遅れたら、行なっても甲斐がありません。
 
今日の御言葉を聞いて、御子主の愛と平安が満ちて、みんなが御子愛に燃えて、神霊であることを祝福します。






~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】最後の最高の復活は「引き上げ」だ(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

[摂理の主日の御言葉] 最後の最高の復活は「引き上げ」だ.png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題]最後の最高の復活は「引き上げ」だ
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文]ヨハネによる福音書5章24~29節
24)よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。
25)よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
26) それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。
27)そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
28) このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
29) 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

コリント人への第一の手紙15章50~54節
50) 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
51) ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
52) というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
53) なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
54) この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。


ハレルヤ。
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

神様と聖霊様と御子主を信じ信仰生活をする上で一番重要なことが、ほかならぬ「復活」です。この「復活」を間違って理解すると、希望と望みをほかのところに置いて生きるようになります。
 
アダムとエバの堕落以後4000年間、旧約の主管圏で神様を信じていた人たちは<しもべ級>におちて、「霊的」にも、「肉体の行ない」も死亡圏で死んでいました。 

時になって、神様がメシヤ・イエス様を遣わし、神様はイエス様を通して<新約の御言葉>を宣布なさいました。その御言葉を信じて、メシヤを分かって、御言葉を行なって従うから、「肉体の生」が死亡圏から生命圏に移って<子女圏>に生き返り、「魂と霊」も<子女圏>に復活しました。  

「復活」とは、神様が遣わしたメシヤを信じ、メシヤが証する神様、メシヤを遣わした神様を信じて仕え愛して、メシヤが伝える神様の御言葉に聞き従って生きることです。これが<命の復活>です。
 
今この時は「肉の生」を通して「魂と霊」を<新婦>に変化させ、完成させて、天国に引き上げられる<霊の引き上げの時>です。宗教歴史以来、「最高の復活」は<引き上げ>です。 
 
<引き上げの歴史>を行なって、「最高の変化の歴史、最後の最高の復活の歴史」を行なうために、神様と聖霊様と御子主は137億年かけて天地を創造し、旧約4000年‐新約2000年、計6000年間、漸進的に次元を上げて、<復活の救いの歴史>を広げてこられました。

「神様が天地を創造なさった目的」は結局<引き上げ>です!<引き上げ>で神様と聖霊様と御子主の最高の目的である「愛の御心」を成すからです。

<引き上げの復活>!これは、それ以上高い次元がない最高の変化であり、最高の復活です。すなわち 「新婦としての変化、新婦としての復活」です。

今日も御言葉を聞いて、皆さんすべてが「三位の愛の対象、新婦」になって、永遠な創造目的を成すことを祝福します。





~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】ただ神様の御心のとおりに(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

[摂理の便り]ただ神様の御心のとおりに|鄭明析.png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題]ただ神様の御心のとおりに
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] マタイによる福音書7章21節
21)わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。


 
ルカによる福音書22章42節
42)「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
 
 
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

<御心>とは「神様と聖霊様と御子主の心と考え」を<御心>と言い、「神様と聖霊様と御子主が計画なさったこと」を<御心>と言います。  
 
イエス様は死の直前の極限の苦痛の中でも必ず、「父の御心のとおりに」なるようにしてくださいと神様に願い求めました。そうすることで、結局「神様の御心のとおりに」<メシヤ・イエス様の犠牲の条件>によって、全人類に命の道を開いてくださいました。それによって<新約の救いの歴史>が2000年間輝かしく成されてきました。
 
このように「神様と聖霊様と御子の御心」を行なってこそ、その影響が「人生一生の間」続き、「魂と霊」にも神様の御心が成されて、永遠な喜びと愛の世界が成されます。
 
人々は「御心」が分からなくてみんな探し回ります。「どのように生きようか?どのように行なおうか?」と悩んで生きています。

「御心」は「人生の道」です。「全能者神様と聖霊様と御子主が永遠なもののために定めた御心」を行なって生きることだけが<人生最高の成功の道>です。
  
「この時代の最高の大きい御心」は<引き上げ>です。だから、「神様の御心どおりにする人」は、<引き上げ>られます。「ただ神様の御心」どおりにするためには、一つ、御子主が伝える御言葉に集中しなければなりません。二つ、御言葉を御子主の御心どおりに悟るために、祈らなければなりません。
 
「ただ全能者の御心どおりに行なうこと!」これを<哲学>にして生きなければなりません。
 
皆さんみんな「御子の御心」通りに生きるように祈り、「御心」を悟って感じ、「神様と聖霊様と御子主の御心どおりに」生きることを祝福します!






~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】時間が問題ではない。どのように行くかが問題だ。(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

[摂理の便り 鄭明析牧師と共に]時間が問題ではない

摂理の主日の御言葉です^^

[主題] 時間が問題ではない。どのように行くかが問題だ。
[御言葉] 鄭明析牧師
[本文] ヨシュア記10章12節
主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。

ハレルヤ!永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

人が重い岩を移すときも、「手足と体」でやったら一生の時間を全部使っても不可能だけれども、「重装備」でやれば短い時間にもできます。これと同じく、時間がたくさんあるかないかが問題ではなく、どのようにするかが問題です。

また、「目的地まで行く上で、時間がたくさん残っているか、少ししか残っていないかは問題ではありません。目的地までどのようにして行くかによって、<時間>の問題は解決されます。『飛行機』で行くか、『車』に乗って、スピードを出して行くならば、遠い距離でも短い時間で行くことができます。

引き上げもそうです。引き上げられる上で時間が残り少なくても、<時間>が問題ではありません。

時間が残り少なくても、『飛行機』で行くように、御子主と一体になって、愛に満ちて聖霊に満ちて行くならば、誰でも少ない時間をもってでも引き上げられます。

しかし、遅れて時間がないのに、自転車で行くとか、歩いていくように、『愛』も『御言葉の実践』も『行ない』もしなければ、それだけ難しくなります。

みんな「間違った行ない」を捨て、「悪い根性」を捨て、「肉に属したこと」を捨て、命を懸けて御子と分体と一体になって、脳に火がつき、飛行機に乗って行くように行なうことを祝福します!






~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】御子愛に燃えて神霊であってこそ 肉と魂と霊が早く変化して早く「引き上げの霊」になる(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

[摂理の便り 鄭明析牧師と共に]御子愛に燃えて

摂理の主日の御言葉です^^

[主題] 御子愛に燃えて神霊であってこそ 肉と魂と霊が早く変化して早く「引き上げの霊」になる
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] ヨハネによる福音書4章23節 
24)しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

 
コリント人への第一の手紙2章13~14節
13)この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
14)生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
 
 
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
 
この時代的に見るとき、また私たち全体の信仰的に見るとき、今、最優先にすべきことは<引き上げ>です。これは「永遠なこと」であり、「今この時に、必ずしなければならないこと」です。 
 
御子愛に燃えて、神霊であってこそ、肉と魂と霊が早く変化して、<引き上げの霊>になります。誰でも御子主と一体になってこそ、神霊になります。御子主と一体になるためには、「真実な祈り」を最後までしなければなりません。
 
世の中の仕事も、その仕事をする時に専(もっぱ)らそれをしてこそ、一目瞭然に完成し、家を建てる時も、専ら行なわなければ、時間が経っても完成しません。
 
「引き上げの仕事」も同じです。専ら行なわなければ、5年、10年行なっても、引き上げの完成ができません。1年でも、引き上げに専ら没頭しようと思って行なってこそ、肉も魂も霊も一目瞭然に変化します。
 
このように行なうにしても、すべき時に行なってこそ、変化すべき時に変化します。変化しても、遅く変化したら、「時」を逃すようになります。変化すべき時に変化してこそ、全能なる神様の<引き上げの時>に合わせて引き上げられます。遅れたら、行なっても甲斐がありません。
 
今日の御言葉を聞いて、御子主の愛と平安が満ちて、みんなが御子愛に燃えて、神霊であることを祝福します。






~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】あなたの民族の村の中で最も小さいものではない。あなたから治めるものが出て、私の民を治めるだろう。(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

摂理の主日の御言葉です^^

【摂理の便り】あなたの民族の村の中で最も小さいものではない.png
[主題] あなたの民族の村の中で最も小さいものではない。あなたから治めるものが出て、私の民を治めるだろう。
[御言葉] 鄭明析牧師
[本  文] マタイによる福音書2章6節
『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。

ルカによる福音書2章14節
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

今日の聖書の本文マタイによる福音書2章6節を読んでみると『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』と言いました。

これは「メシヤ、イエス様が誕生すること」を話したのであり、「将来イエス様が行なうこと」について話したのです。 

イエス様は「ベツレヘム」という、とても小さい村に生まれました。神様が計画的にその小さい村に生まれるようにさせました。 

そのおっしゃったとおりに、神様は全人類を救うために、イエス様をメシヤとして遣わして歴史を広げていかれ、イエス様は全世界のイエス様を信じて従う数十億人を「治める主」になられました。

そうすることでイエス様が生まれたベツレヘムは「小さくない村」になり、イエス様は「全人類の牧者」になられました。このように<神様の歴史>が始まると、神様は世界各国のあちらこちらで「遣わされた人、その人」のことを様々に予言させ、状況を整えて働きかけ、「その人」がその予言を成就するようにさせます。

神様がなさることだから、既に予言なさったとおりに成就したし、また今も行なっていらっしゃいます。それだけではなく、神様と御子が個人・民族・世界におっしゃったとおりに、すべてを成し遂げていらっしゃいます!

「地に平和、天に栄光」がどこから来るのか悟らなければなりません。ただ神様から、聖霊様から、御子から、遣わされた人から来ます。

その時代に神様が遣わした人に接するとおりに「地に平和」が来るし、「天に栄光」になるので、御言葉を貴重に聞いて行なって、「災い」を「祝福」に変えて生きることを祝福します。



~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】脳に火がつくほど味わったなら、 味わったとおりに、胸がすっきりするように表現して話し、 胸がすっきりするように証し、行ないなさい。(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

【摂理の便り】脳に火がつくほど味わったなら.png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題] 脳に火がつくほど味わったなら、 味わったとおりに、胸がすっきりするように表現して話し、 胸がすっきりするように証し、行ないなさい。
[御言葉] 鄭明析牧師


[本 文] 使徒行伝1章8節
8) ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。


ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

人々は身をもって経験するときは、苦痛と労苦と努力ともがきで、それに該当することを味わいます。それは、続けて味わいたくてもできることではありません。味わうときしか味わえず、自分が身をもって経験するときに、細密に見るようになります。

それなのに、それほど脳から火が出るほど味わっていながら、いざ表現するときは普通のこととして表現するから、相手もその言葉を聞いたのでは正しく認識できなくて、とてつもないことも普通のことと思って聞くようになります。

例えば、自分が何かの厳しい患難や苦痛を<身をもって経験するとき>は、肉が引き裂かれ、肝がつぶれ、骨が溶け、脳に火がついて燃え、頭が割れ、脳みそが地に注がれて散り散りになる地獄の苦痛を受けたのに、<言葉で表現するとき>は「心の苦労が多かった。最高の苦痛を味わってつらかった」と言うならば、ちゃんと伝達されなくて、聞く人は本人が身をもって経験していないから、一段階、次元低く感じます。

だから、その言葉を聞いた人は「実践」もその程度しかしないし、「感動」もその程度しか受けず、「証」も平凡に、手ぬるくするようになるから、できるはずのこともできません。身をもって経験したとおりにはっきりと話してこそ、さまざまなしるしが起こります。

<身をもって経験するとき>は脳が焼けるほど味わったのに、<表現と行ない>は服が焼けたぐらいにするから、身をもって経験したように歴史が起こりません。 胸がすっきりするように味わったなら、胸がすっきりするように表現し、胸がすっきりするように話してあげ、胸がすっきりするように証をし、胸がすっきりするように説明し、胸がすっきりするように教え、胸がすっきりするように行なうべきだということを 本当に悟ることを願います。

御言葉を聞いたから、自分が見て聞いて身をもって経験したとおりに、胸がすっきりするように表現して、その言葉が聞く人の脳の中にはっきりと入り、台風で波打つように感動を受けるようにしてあげなければなりません。そうしてこそ、ちゃんと悟って実践して、自分も相手も希望が成され、神様と聖霊様と御子主も胸がすっきりするように愛してくださいます。 
 
「脳に火がつくほど味わったから、味わったことをちゃんと表現し、ちゃんと話し、ちゃんと証をし、ちゃんと行なうこと」です。 

今日の御言葉通りに行なって「力と御力」を受け、100%変化を成すみなさんになることを御子の御名によって祝福します。





~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉

【摂理の便り】行う人だけが得る(鄭明析牧師の主日の御言葉より) [摂理史の主日の御言葉]

<摂理の御言葉:鄭明析先生の主日の御言葉>

[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 行う人だけが得る.png

摂理の主日の御言葉です^^

[主題] 行う人だけが得る
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] マタイによる福音書19章17節
イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。

ヨハネによる福音書6章63節
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

ヤコブの手紙2章16~17節
16) あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。
17) 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。 

ハレルヤ! 
永遠でいらっしゃる父なる神様の愛と、御子の平安が満ちることを祈ります。

私たちが過去を見ても、何かを得たときには、まず御子主が「私たちがすべきこと」が思い浮かぶようにしてくださったし、そのことを行うことによって、得ました。

必ず実践する前には<祈り>をしなければなりません。そうしてこそ御子主が、「すべきこと」が思い浮かぶようにさせてくださり、「実践する知恵と力と能力と霊力」を一緒に下さ


って、行うようにさせてくださいます。そして「すべきこと」をもらったら、やらなければなりません。

行うときは、「すべき時間」に、「その時」にしてこそ、得ます。どんなことをするにしても、すべき時にただちにする人が、『自動小銃』のような人生であり、「自動武器のような体」になって、得るものを得て、自分のものとして使うようになります。

人は、目で見ること、耳で聞くこと、口で話す方面には脳がたくさん発達しています。ところが「実践する脳」は発達できていないので、次元が低くて鈍感です。「実践する脳」が固まっていて、怠けます。
だから心は金持ちで、考えは財閥ですが、行動は貧しいです。

皆「実践する脳」を作動させなければなりません。それでこそ、「固まった脳」がほぐれ、「固まった体」がほぐれるようになり、実践して多くのものを得られます。

もう暖かい春になり、「実践する季節」が来ました。この時に皆立ち上がって光を放ち、実践しなければなりません。それでこそ、変化し、新しいことを見つけて得るようになります。

皆、祈ってすべきことをもらって、速いチーターのようになり、狩りをして得ることを祝福します。



~~摂理の便り~~
鄭明析先生の主日の御言葉
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