【摂理史の主日の御言葉】目的がなかったり、ぼやけていたりしたら、心と考えがムミだ [摂理史の主日の御言葉]
[御言葉] 鄭明析牧師
[本 文] 創世記1章1節 1)はじめに神は天と地とを創造された。 マタイによる福音書22章37節 37)イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 テサロニケ人への第一の手紙4章16~17節 16)すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 17)それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
テレビで動物の世界を見ると、狩りをする動物たちも平素は寝転がったり、行ったり来たりしています。
その姿を見たら「あのようにしてどうやって狩りをするのだろう」と思いますが、
狩りを始めたら「獲物を捕まえようとする目的」があるから、
目が光って精神一到して獲物を追いかけていきます。
また、狩りをされる動物たちも平素は寝転がっています。
その様子を見たらやきもきして「あんなふうにしていたら食い殺されそうだ」と思います。
しかし狩りが始まったら「助かろうとする目的」があるから、精神を刃のように立てて逃げていきます。
これと同じく、人間も心・精神・考えがおぼろげで無感覚だと人生をムミに生きて
「私はどうして生きるのだろう。 私の心と精神が私の体の中にあるのだろうか。 私はどんな意味で人生を生きているのだろう」
と言います。
これは、<目的>がはっきりしていないから、それに没頭して汗を流し集中して目的を成すことをしないからです。
だから心・精神・考えが散って「確実性」を失い、ムミに生きていく次元に置かれたのです。
人間は体をもって「考え」で生きていきます。
だから、心・精神・考えの<目的>がはっきりしなければなりません。
しかし、<肉的な目的>は持ってもつらいし、成されても虚しいです。
ただ<永遠な目的>を最優先にして行なわなければなりません。
これだけが、肉も心も魂も霊も永遠な喜びと愛と希望の生を生きるようにします。
神様と聖霊様と御子主は「太陽のように鮮明な目的」を持って天地と人間を創造なさり、
今までその目的を成すために絶え間なく行なっていらっしゃいます。
皆さんの目的も神様と同じ<創造目的>と<引き上げの目的>を成すことでしょう。
私たちの目的は神様の目的と同じだから、もう一度心と考えをその目的にかけておいて
「なぜ生きなければならないのか」とはっきり分かって、汗を流して希望で行なわなければなりません。
そうしてこそ、虚脱感と虚しさを抜け出して、おぼろげで意味のない生を抜け出すようになります。
みんな神様と聖霊様と御子主の心を受けて、太陽のように鮮明で、光のように輝かしく生きることを祝福します。
アーメン☆
2013-12-26 20:03
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